神戸地方裁判所 昭和45年(ワ)868号 判決 1978年8月30日
原告 山田綾子 ほか一名
被告 国
訴訟代理人 細川俊彦 浅田安治 ほか六名
主文
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告ら
被告は原告らに対し左記金員とこれらに対する昭和四五年七月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
1 原告山田綾子に対し金四八九万一、八六〇円
2 原告山田皓一に対し金五七万三、五二六円
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決と仮執行宣言
二 被告
主文同旨の判決
第二請求の原因
一 昭和四二年七月九日、神戸市生田区北野町三丁目北部の同区神戸港地方堂徳山天神谷流域国有林(以下本件国有林という)方面から、多量の土砂や倒木が、原告らの肩書住居地の居宅に流込んだ(以下本件災害という)。
二 本件災害は次のようにして発生した。
1 本件堂徳山国有林は別紙図面一の青色の線で囲まれた地域であり、その東北部には同赤色の斜線部分の長大な赤禿の懸崖があり、南北に急勾配で、別紙図面二のとおり、ほぼ中央部南北に通称天神谷といわれる雨水等の水路があり、その両側(東西)も急斜面となつており、その水路は南に下つて北野川に注ぎ、本件国有林の南側は人家密集の市街地に接している。
2 そして、本件国有林は、明治三一年一月一日土砂流出防備の保安林に指定されており、天神谷の水路には、林地保全・土砂流出防備のための練積谷止、玉石コンクリート堰堤などが設置されていたが、右谷止・堰堤は、本件災害当時既に満砂の状態で、流出土砂等を貯留する機能をなくしており、その外に土砂等の流出を防止する施設は全くなかつた。
3 そのため、昭和四二年七月九日神戸地方を襲つた集中豪雨により、本件国有林の赤禿の懸崖地などが崩壊し、その土砂と、本件国有林にあつた倒木等が下流に流出して、本件災害に至つた。
三 二項1の本件国有林の地形からして、本件国有林は、土砂や倒木等が流出して下流住民の生命・身体・財産を侵害しないように、土砂や倒木等を貯留して下流に流出することを防止する堰堤等を備えるべきであつたのに、本件国有林の堰堤等には土砂等の貯留機能がなく、その外に土砂等の流出を防止する施設が全くなかつたのであり、自然公物が当然備えるべき防災施設を備えていないことも公の営造物の設置・管理に瑕疵があるというべきであるから、本件国有林自体若しくはそこに設置された二項2の堰堤等の施設の設置・管理の瑕疵のため、本件災害が発生したものとしても、被告は国家賠償法二条一項若しくは民法七一七条の責任がある。
また、本件国有林の管理を担当する公務員が、右のような安全確保施設を備えるべきであつたのに、備えないで放置したため本件災害が発生したのであるから、被告は国家賠償法一条一項の責任もある。
四 本件災害により、原告らの被つた損害は次のとおりである。
1 原告山田綾子関係合計 九七九万一、八六〇円
(一) 被害家屋修理費 三二五万四、〇〇〇円
(二) 家具修理費 三九万九、六〇〇円
(三) 家具等の滅失 一二三万八、二六〇円
(四) 慰藉料 四九〇万円
2 原告山田皓一関係合計 一一七万三、五二六円
(一) 自動車修理費 一四万五、五一六円
(二) 写真機等の滅失 四二万八、〇一〇円
(三) 慰籍料 六〇万円
五 そこで、本訴において被告に対し、原告山田綾子は右損害の内金四八九万一、八六〇円と、原告山田皓一は右損害の内金五七万三、五二六円と、これらに対する本件災害後の昭和四五年七月二八日から各支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三請求原因に対する認否
一項の事実は認める。
二項1の事実中、本件堂徳山国有林の範囲は否認する。本件国有林の範囲は別紙図面一の緑線で囲まれた部分であり、所謂赤禿の懸崖の殆んど大部分は本件国有林外の民有林に属している。本件国有林の天神谷流域付近が別紙図面二のとおりであることは認める。
二項2の事実中、保安林指定の事実及び練積谷止、堰堤などが設置されていたことは認める。しかし、堰堤は(1)渓床勾配の緩和と縦侵食の防止(2)山脚の固定と崩壊の防止(3)渓床に推積する不安定土砂の流動防止と両岸の山脚固定を、谷止は右(1)(2)の目的のために設けられた、いずれも、本件国有林内の林地の保全をはかる治山施設である。
二項3の事実を否認する。本件国有林内には林地崩壊も伐採木の放置もなかつた。本件災害は、本件国有林より上流の天神谷流域の民有林から大規模に流出した土砂、流木により生じたものである。
三項を否認する。本件国有林は、直接公の目的に供されていないから国家賠償法二条一項の公の営造物ではなく、人工的作業をなしたものではないから民法七一七条の土地の工作物でもない。また、前記の堰堤・谷止の目的は、この施設の背後に充分な貯砂を完了することにより達成されるものであり、本件災害当時、これらの治山施設は、既に充分な貯砂を完了しつつあり、倒壊破損することなく堆砂を保持していたのだから、この設置・管理に暇疵はなかつた。
四項の事実は知らない。
第四抗弁
本件災害は不可抗力によるものである。即ち、昭和四二年七月九日、西日本一帯を襲つた台風七号の影響下にあつた神戸市付近の梅雨前線が活発に活動し、神戸海洋気象台創設以来の記録的な集中豪雨を降らせた。当日の降雨量は一六時二八分から一七時二八分まで一時間に最大七五・八ミリを、二一時頃にも五八・六ミリとなり、一日の降雨量も三一九・四ミリで前記気象台創設以来の最多降雨量であつた。この短時間の集中豪雨が鉄砲水となつて、各所に崖崩れや浸水を起し、本件国有林の上流の民有林から異常に多量の土砂や倒木が流出して本件災害に至つたもので、本件国有林自体やその堰堤等がこの異常に多量の土砂や倒木等の流出を防止する施設を備えていなくても、通常備えるべき安全性を欠いていたとはいえないし、被告にそのような施設を備えるべき義務もなかつた。
第五抗弁に対する認否
否認する。集中豪雨が珍しくないわが国において、本件程度の集中豪雨が予想できない筈はない。
第六証拠関係 <省略>
理由
一 請求原因一項の事実(本件災害の発生)については当事者間に争いがない。
二1 本件国有林の天神谷流域付近が別紙図面二のとおりであることは当事者間に争いがなく、<証拠省略>によると、本件堂徳山国有林の範囲は別紙図面一の緑線で囲まれた部分であることが認められる。
2 <証拠省略>の結果によると、
(一) 本件国有林は約三八ヘクタールあり、そのうち約一〇ヘクタールが天神谷流域に属し、天神谷流域の本件国有林の上流には約一三ヘクタールの民有林等が存在し、この地形はかなり急峻(平均渓床勾配二一・三%)であること。
(二) 本件国有林にはクロマツ、アカマツ、ヒノキ等が植生しており、明治三一年土砂流出防備の保安林に指定され(この点は当事者間に争いがない)、その目的に沿つた管理がなされてきており、天神谷は降雨時を除き殆ど流水がみられないこと、
(三) 本件災害当時、本件国有林の天神谷流域には、(1)渓床勾配の緩和・渓床洗掘の防止、両岸の山脚の固定、不安定土砂の流出防止のための玉石コンクリート堰堤一基と練積谷止工七基、(2)渓岸の山腹工作物の基礎・山腹崩壊防止等のための練積護岸工六基と山腹石積工一三基、(3)豪雨や湧水による山腹斜面の土壊侵食を防止するため一定の場所に流水を集めて排水する山腹水路工四基の各治山施設が存在し、渓床は安定した状態にあり、堰堤はかなり土砂を貯留しうる状態であつたが、谷止工は殆ど満砂の状態にあつたこと、
(四) 本件災害前の昭和四一年五月頃には、本件国有林内に山腹崩壊の跡はなく、営林署の技官が年二回位虫害木や風倒木の調査をしてきたこと、
が認められる。
3 <証拠省略>の結果によると、
(一) 昭和四二年七月九日朝から、台風七号くずれの低気圧に刺激されて、西日本に停滞していた梅雨前線は活発な活動をはじめ、同日夜までに、九州北西部、中国、四国、近畿、東海地方に記録的な集中豪雨を降らせ、各地に甚大な損害を与え、神戸市でも、家屋の全壊流失三六三世帯、半壊三六一世帯、死者七二名、行方不明一九名など総額約四五億円の損害を被つたこと、
(二) 神戸市では、同日午後三時三〇分頃から降雨が非常に強まり、四時二八分より五時二八分までの一時間には七五・八ミリの降雨量を記録し、同日の日降水量は三一九・四ミリに達し、この日降水量は神戸海洋気象台創立以来の記録であり、この短時間の集中豪雨が、鉄砲水となつて六甲南斜面を流出し、各所に崖くずれや下水氾濫をおこし、前記の大損害を与えたこと、
(三) 同日の神戸市の降雨量は、午前一〇時から一二時まで一四・五ミリ、午前一二時から午後三時まで一四ミリ、午後三時から四時まで二二ミリ、四時から五時まで六六ミリ、五時から六時まで五六ミリ、六時から七時まで二五ミリ、七時から八時まで一六ミリ、八時から九時まで六一ミリ、九時から一〇時まで二四ミリとなつていること、
(四) 神戸海洋気象台の観測資料により最大日雨量と最大時雨量の一〇〇年と五〇年生起確率は、最大日雨量について一〇〇年確率が二九五・八ミリ、五〇年確率が二五八・八ミリ、最大時雨量について一〇〇年確率が七八・八ミリ、五〇年確率が七〇・八ミリであることが認められる。
4 <証拠省略>の結果によると、
(一) 本件国有林に設置された治山施設は、右集中豪雨の際、それらの位置、規模及び構造等について、各設置の目的を達していたこと、
(二) 右集中豪雨による天神谷流域の山地崩壊を、本件国有林とその上流の非国有林流域とを比較すると、崩壊箇所は本件国有林の方が非常に少なく、崩壊の規模、面積、土砂量共に本件国有林の方が少なかつたこと、
(三) 当時、上流流域の林地は、本件国有林と比べて、植生の管理状態は悪く、裸地もあり、治山施設、砂防施設が設けられていなかつたこと、
(四) 当時、天神谷流域の山腹斜面の崩壊機構は十分に解明されておらず、どのような豪雨時に、どこの斜面が、どのような面積、形状、厚さで崩壊するかを予想することは殆ど不可能であつたこと、
が認められる。
5 <証拠省略>の結果によると、
(一) 昭和四六年三月発行された林野庁編集の「治山技術基準解説」では、治山ダムは一般に最大時雨量一〇〇ミリ、流出係数一を用いて最大降水量を計算して放水路断面を決めるとされており、昭和四三年六月に発行された社団法人日本林業土木連合協会編集の「治山全体調査の考え方進め方」では、予防治山計画のために五〇年確率の最大日雨量をとることに決めてあるとされていること、
(二) 昭和四二年七月九日の集中豪雨後、神戸市が、本件国有林やその上流に砂防堰堤や流木止を、本件国有林の下流に沈砂地を設けたが、それらの施設は、最大時雨量の一〇〇年生起確率降雨量を基準にしており、一〇〇年生起確率の最大日雨量の際に確実に災害を防ぎうるとはいえないものであること、
が認められる。
三 以上の事実によると、昭和四二年七月九日の集中豪雨における日降雨量は一〇〇年生起確率降雨量を上廻り、同日の最大時雨量は一〇〇年生起確率降雨量を少し下廻るが、前項3(三)の連続的な多量の降雨は質的に最大時雨量一〇〇ミリを上廻るものと考えられ、当時林野庁内関係で治山施設の基準とした降雨量ばかりか、右集中豪雨後神戸市が設置した砂防施設の基準とした降雨量をも質的に上廻つており、本件国有林内の各治山施設は右集中豪雨の際も各設置の目的を達し、本件国有林上流の天神谷流域は治山施設等がなく、植生の管理状態も悪く、裸地もあり、右集中豪雨の際、本件国有林よりも大きな山地崩壊が発生し多量の土砂や倒木等を下流したが、本件国有林地域の山腹斜面の崩壊を具体的に予想することは不可能であつたのであり、これらの事実に、被告の治山・砂防対策は、山林の特性、自然的・社会的条件、治山・砂防工事の経済性等あらゆる観点を総合的に判断して決められるもので、財政的制約があることを考え合せると、本件国有林及びそこに設置された治山施設が当然備えるべき防災施設を備えていなかつたとか、本件国有林を管理する公務員が、備えるべき防災施設を備えないで放置したとはいえず、本件災害は、右集中豪雨による不可抗力であつたとみるのが相当であり、右判断を左右するに足りる証拠は何もない。
四 以上によると、その余の判断をするまでもなく、原告らの本訴請求は理由がないので棄却することにし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 林義一 河田貢 三輪佳久)
別紙図面一、二<省略>